自称週末ファーマーの国家試験受験記

自己啓発の延長なのか、自己実現の手段なのか、はたまた意地の張り合いか。生きているうちに“何か”を成し遂げたいから走り続けているような感じがする

だからモヤモヤ

12/8は二次筆記試験の合格発表だ。

正確に言えば、口述試験の資格を得られる人の発表、ということになる。

現在の心境は「生き地獄」。

 

どうやら昨年の今頃もモヤモヤしていたようだ。昨年は一縷の望みをかけて合否を待っていたと思う。でも昨年の著者は「合格していてもいいはずだ」と思っていたに違いない。合否は神のみぞ知るとか思いながら内心では合格しているはずだと。そりゃ、やったからには合格したいわけだし、二次試験対策をする中で出来なかった「80分で解く」を初めてやり遂げたわけだから合格していてもよいのではないかと淡い期待を抱いていたのも無理はない。

ところが・・・。結果は推して知るべし。今年も受験することになった。

 

今年もモヤモヤしていることは変わりがない。一生懸命昨年と違うところを探しているのだが本試験から1ヶ月以上が経過した今では記憶も薄れてしまっている。だから昨年と違うところはおろか、昨年と同じ轍を踏んでしまっているのではないかとの思いが強くなっているのだ。

正直に告白すると、

・合格していて欲しいけど(だって結構出来なかった感触があるじゃん)

・昨年よりはまともな回答ができたじゃん(でも正解はないからそんなの分からんだろ?)

・巷では難しいって評判だ(そんな中でもデキたヤツから合格するんだよ。それが試験)

・二次筆記通過率は20%だ(5回受ければ1回は受かるよ。でもまだ2回だろ?)

というふうにポジティブに考えようとすると同時に同量のネガティブな反証が出てくる始末。もうキリがないのだ。

だからこれがモヤモヤ。

 

 

出来るようになるとおもしろい財務会計

2017年度の二次筆記試験の結果は判明していない。

しかし、2018年度合格目標の方々は勉強を進めている頃らしい。

 

著者は受験予備校には通っていなかったのでどういうスケジュールなのか分からないけれども、聞くところによれば、財務会計が始まる頃のようだ。

 

 

***

診断士試験を目指そうと思ったときに「わぉ!」と思ったのは財務会計だった。こりゃ出来るようになるのだろうか、と思ったし一目見ただけではワケ分からなかったのを覚えている。

独学だったゆえ、いろいろな情報網から集めた情報を頼りにまずは体得、と思い、手を必死に動かしながら必死こいて学習したことを覚えている。

 

集めた情報いわく、

 

「問題を解いてみて」「過去問が最も優秀な参考書」「過去問レベルが出来れば」

 

少なくとも著者はこれにだまされた。

 

 

 

著者が実際にやった勉強はすべての人に共通して当てはまることではない。少なくとも自分には合っていたし、非効率なやり方であることも分かっているのだが、急がば回れ的な理解が必要だった。

一般的には input  <  output  なんだろうけれど、自分の場合には  input  >  output が必要だったのだ。

 

そもそも自分は優秀な人間ではない。器用な人間でもないし、地頭がいい人間ではない。だからそういうごくごくフツーの人間が診断士試験を受けるために必要だったことを実践したまで。だからあまり参考にならないと思う。

 

***

財務会計の学習当初、「スピ問」を解くことから始めた。さっぱり分からなかった。解答解説を見ながら手を動かした。我慢強く、根気強く、体で覚えようとした。

スピ問 を繰り返すうちにだんだん分かったような気がしてきた。もちろん、「分かったような」気がしただけである。そうするとだんだん疑問がフツフツ沸いてくる。「どうしてこうなるの?」って具合。そうなるともう途端に先に進まなくなる。点と点を理解しても線にはならない勉強をしていたからだ。

 

まずSWOT分析をすべきだったのだ。自分の学習はどうあるべきか明確にすべきだったのだ。体系的に学ばないと理解出来ないタチだったことを忘れていたのか、ただただ時流れる情報のいうがままやっていたことで“遠回り”したのだ。

自分に理解が必要な科目は経済学と財務会計だった。企業、運営、法務、情報、中小は基本的に暗記でイケそうだった。だから経済学と財務会計を徹底的にやりこもう。そう決めたのは一次試験に惨敗した次の日のことだった。

 

確かに7科目やるためには時間がいくらあっても足らない。最短コースを行かないとスト合格が難しい。とはいえ、正しい勉強方法でないと何年やっても合格は覚束ない。そこが診断士試験の難しさではないかと思う。

 

2016年度一次試験に向けて、簿記3級と簿記2級を学んだ。結果的には遠回りにはなったけれど、簿記をやったおかげで点と点が繋がって線になった。線と線が面になって、・・・という実感が持てた。会計知識なども少しずつ増やしていった。主には会計規則を読んだだけで覚えようとしなかった。でも不思議なことに見てるだけでも覚えていける。

そうやって自分に合致する勉強を進めたことでGWにあったLEC模試、7月にあったTAC模試では高得点をゲット。本試験でも貯金に出来るような点数をマークすることが出来た。

 

 

 

自分にとっては効果的な学習だったけれど、スト合格を目指す方にとっては遠回り。でもこの遠回りがあったからこそ、二次試験にも対応できた。逆に言うとこの経験がなかったら昨年の二次試験はもっと惨敗だったのではないかと思うし、今回の二次試験ももっと出来なかった感があるのではないかと思える。

 

 

 

ひょっとして、運???

 

 

 

合格者はそう言っていたな(泣)

 

受験を目指そうと思ったのはかなり前のことだった

診断士試験を目指したのは2014年の夏だった。

受験の動機は、端的に表現すれば、自己啓発目的であり自分に“箔”を付けることであった。

 

試験科目が7科目もあったため、さすがに一発合格は難しいのではないかと思ったがどうせやるからにはストレートで合格したいと思い、1年間みっちりと時間をかけて2015年度の合格を目指した。

学習の方法は独学。通学や通信は全く考えなかった。

市販されている「スピードテキスト」を購入し、まずは input 。次に「スピード問題集」を購入し output を開始。最後に「過去問マスター」を使用して試験を迎えるというバクッとしたストーリーを描いた。

 

学習を開始する前に、ネックになる科目は財務会計だと思っていた。というのもボキなぞ未知の世界だったし、自分には縁のない世界だと思っていたのだ。

いろいろな情報はネットを活用して集めた。

 

財務会計は簿記は不要。

簿記は必要。

体得する。

過去問だけで受かる。

アウトプットが大事。

・・・。

 

言っていることはすべて分かった。それらの情報を取捨選択し、自分が勝てる作戦を練り上げたつもりだった。

しかしながら2015年度の一次試験は惨敗だった。

 

なぜか?

 

戦略に基づいた戦術がなかったのだ。

ただネットに溢れる情報から取捨選択して自分に都合よく解釈し、アウトプットが大事だという情報を鵜呑みにし、過去問レベルが解ければ何とかなるとさえ思っていたのだ。現実は違った。

 

2015年度の一次試験が終わった翌日から次年度に向けて学習を始めた。経済学と財務会計があと一歩のところだった。だから初日のAM中の、この2科目強化することにした。経済学は好きだし、財務会計はただの食わず嫌いだったことが分かったからだ。

 

自分を分析するに、過去問が大事だから、というのは理解できるが、自分にはまず体系的な理解が必要で、その上でアウトプットをするようにしないとダメなことがわかった。結果的に自分に合う学習法が見つけられなかったことが敗因だったのだ。

だから経済学は石川の経済で理解を優先した。財務会計は簿記3級と2級の学習を通じて理解と体得をパラレルで進めることにした。法務と情報は60点ギリギリの戦いをしよう。過去問レベル以上の難しい論点が出たら諦める。基礎基本のみに専念しよう。得意科目で点数を稼ぎつつ、苦手科目は踏ん張ることを戦略とし、そのための戦術としては石川の経済を使って経済学を、簿記習得を通じて財務会計を、高得点化させることとした。

2015年度の一次試験が突破できなかったのはそういう大枠の戦い方が分からなかったからだ。つまり自分は一度目は微妙だが、一度目の反省を踏まえて二度目に成功するタイプなのだと理解した。

 

戦い方を決めた後ではそれを実行するだけだった。順調に石川の経済をミクロ、マクロと仕上げた。結局、スピ問はおろか、過去問すら解かなかった。受験校の模試ではその成果が見られ、LEC模試でもTAC模試でも高得点をたたき出すことが出来た。一方、財務会計は簿記を習得し、ファイナンスの基礎まで踏み込むことが出来た。受験校の模試ではLECもTACも80点以上をたたき出すことができた。

結果、2016年度の一次試験を突破した。初めての二次試験を迎えることになる。

 

 

初めての二次試験で不安はあった。

内部要因的にはいつまで経っても80分で解けなかった。金型化も出来なかったしキーワードの抽出も出来なかった。外部要因的には直前期の10月の平日、仕事が超多忙で全く勉強できなかったので勉強不足を露呈し、難しくなかった本試験でずっこけてしまった。得点開示の結果、カンタンだった事例Ⅳが取れていなかった。

 

そりゃそうだ。CF計算書が出来ていないし。NPVは諦めていたからどうでもいいけれど、CF計算書がダメだった時点で退場処分だったのだ。

 

だから二度目の二次試験に向けては事例Ⅳ対策を強化する必要があった。

平成18年度~28年度の事例Ⅳを徹底分析した。営業CFもNPVもCVP分析も時間を費やせたことで準備万端といえるレベルになった。事例Ⅰ~Ⅲは「事例問題攻略マスター」を使い出したことで開眼を経験した。そもそも二次試験とは何か、が理解できていなかったのだ。

やはり初めてには弱いな、と苦笑しつつ、2017年度に二次試験を迎えたということになる。

 

結果として事例Ⅳは難しかった。正解が書けた自信がない。

事例Ⅰ~Ⅲもワケわからない。正解に近い回答が出来たのかどうかさえわからない。

 

 

やっぱ、奥が深いな、この試験。

 

二次試験、神田駅からの帰宅の足が遅かった。

出来なかったという感触しかなく、絶望感に苛まれていたからだ。

 

今もそう。

どう嘆いたって結果は変わらないから開き直っているだけ。

 

二次試験が終わって二度目の週末

毎朝愛犬と散歩に行く。

 

最近は散歩中に顔がニヤけている。なんか解放された気分だし、いくぶんモヤモヤはあるけれど、やれることはやりきったという思いが顔をニヤけさせているのかもしれない。

今日から三連休だが、今日は銀座に出かけるにしても土日に全く勉強しないでいいというのはなんだか不思議な気分がする。

 

せっかく付いた習慣だから、と思うのだけれど、じゃ何か別の資格試験の学習をするかというとそんなモチベーションもない。だいたい無目的には勉強などできないのだ。

 

***

せっかくだからこういうときこそ、趣味の家庭菜園でも勤しめばよいのだが週末に悪天候になることが多く、また雨が降れば菜園がぬかるむ可能性が高いため、なかなか菜園に行けずにいる。だから手持ち無沙汰になる。

 

読みたかった本でも読むか、と思うのだが、そんな本はとっくに読み終えた。

やれやれ、もっと外に出てカネ使えばいいのにと言われそうだ。

 

目下の悩みは、合否が判明するまで何して過ごすかということだ。

ひょっとしたらWライセンスを目指すことになるかもしれないし、この時間を活用して何か学習すればいいという意見もあるが、さっき書いたようにモチベーションがないから学習する気にもならない。

 

 

さしあたり、筆記試験に通ったら口述試験もあるわけだし、さらにその先には実務補習がある。実務補習は約15万円かかるし、その資金繰りも考えねばなるまい。

 

 

ずいぶんとカネのかかる資格なんだなぁ。

 

 

苦手なことにチャレンジしたいのだ

診断士試験のことを調べていくとそう簡単には合格出来ない難関試験だということが分かった。でもここでうろたえるわけにはいかなかった。ここで引き下がるようでは勝負に行かないまま人生が終わると思った。


何を得たいと思ったら、同時に何を失わなくてはならない。その覚悟も出来ている。
あとは「やり方」を知るだけであった。
自分は器用ではないから一度の失敗くらいはあろう。だから「次」どうするかが大事だった。

 

***
昨年も二次試験を受けたがあえなく不合格だった。
不合格という烙印を押された。でも、今となっては不合格になった理由は分かっている。
だからそれを克服するために努力を重ねた。いや、重ねたつもりだ。
今年はまだ合否が分かっていない。
昨年とは異なる手ごたえを感じつつ、「やっちまった」感を持ちながら、モヤモヤする日々を過ごしている。


さて、合格したらどうするのだ?

決めているのは某受験生支援団体に入ること。
きっとスカウトされるはずだから(笑)
そして協会に所属すること。そして少しずつキャリアを積み上げていく。
どっかのタイミングで転職したい。コンサルタント資格を活かせるような。
「教える」仕事もいい。

人脈を広げながら自分と向き合おう。

診断士資格を活かしながらどんな活動が出来るのか、また自分に何が欠けているのかを
見定め、さらに努力が必要なら努力を続けていかなければならない。
診断士資格を取ることが最後ではないのだ。


まずは自分が苦手な人の輪に入ること。
某受験生支援団体に入っていろんな人のよいところを見よう。
まずはそこからだな。

 

そもそも、どうして診断士を受けようと思ったのか?

診断士に合格できたら何がしたいのか、二次試験が終わってからの毎晩考えながら眠りにつくようになった。むろん、試験勉強にハゲんでいるときもそういうことを考えていたのだが、二次試験が終わり、合否が分からない今、少々の夢を見てもいいだろうということで、少し文字にしてみたい。

 

 

そもそも、どうして診断士を受けようと思ったのか?

(全く謙遜でもなんでもなく)自分にはいわゆる箔がない。大卒ではあるものの皆が羨むような大学ではないし、ただ大卒であるという肩書きがあるだけ。

真剣に勉強したが第一志望にはたどり着けなかった高校受験を筆頭に、受験と呼ばれるイベントにはいい思い出がなく、外部環境要因が自分の行く末を決めたとかいう言い訳を武器に生きてきた。それがイヤだった。死ぬまでに何か成し遂げたい、と思った。

 

大学卒業後最初に入社した企業は、志望する企業ではなく、義理と惰性で入社したサービス業であった。今でいうブラック企業だ。予測していたわけではないけれど、いずれは斜陽産業になることが分かっていたし、自分が望む仕事が出来なくなった時点でスパッとその会社を諦め、今の会社に入社した。どんな会社での完璧な会社はないので多少のいいとこわるいとこは存在する。

最初に入社した会社が50点だとしたら今の会社は65点。給与が低いことを除けばずいぶんとラクな会社だ(笑)

 

正直言えば、今の会社に骨をうずめる気はさらさらないので何かステップアップするためにはどうしたらようのかを考え続けていた。労働市場における自分の価値を高めるためにはどうしたらよいのか、とね。

 

自分には箔がない。

 

誤解を恐れずに言えば、人間は見た目ではないとかいいながら、最初に見るべきは顔(ツラ)だ。

ツラ構えをよくするためには必死こいて勉強するしかないと思っていた。いわゆる自己啓発みたいなものだ。

 

しかし、何の裏づけもない数字やハッタリがすぐに見破られると同じように、現在の自分には、血肉になる“何か”がない。“何か”がなければ勝負出来ない。それが現実だ。そこで著者が選んだの診断士という資格だった。

じゃ、なぜ診断士なのか? 当時読んでいた自己啓発本の著者の多くがマッキンゼー出身者だったからか? そうかもしれない。大前研一の本ばかり読んだから? そうかもしれない。当時の会社の社長がMBAを取ろうとしていたからかもしれない。感化されたのかもしれない。

自分の血肉に出来て箔が付けられる資格が診断士だったわけだ。

 

それからというものの、診断士のことを研究した。

 

(続く)

 

 

今回の試験で感じたプレッシャーはハンパなかったという話

(誰でも思うことだろうけれど)また一次試験から受け直せといわれてうれしがる人はいないだろう。二次試験だけでも、と言われても同様だ。出来ることなら早く解放されたいし、どうせ勉強するのならまた違うコトモノの方がいい。

 

診断士二次の事例を解くのは楽しいのだけれど、何年も続けられるようなものではない。試験日当日の精神的なプレッシャーときたらハンパなかった。これは前年の、二次試験初体験のときには感じられなかったことだった。二回目の二次試験は「これで失敗したらもう一回一次試験から受けなきゃ」といったような背水の陣的なプレッシャーよりも紙面と対峙するというプレッシャーの方が大きかった。少なくとも著者はそう感じた。もうこのプレッシャーはたくさんだ、と。

 

手前味噌ではあるが、著者はプレッシャーに弱くない(どちらかといえば強い方ではないだろうか)方。だが事例Ⅰの始まる9:50、シャーペンを持つ右手が震えていた。要するにそれほどこの二次試験に賭けていたわけだ。

すべての事例で手が震えるような問題があり、その都度、精神的に負けそうになった。特に事例Ⅳでは「例年と違うぞ?」と思った瞬間、変な汗が出たほどだ。100点狙い所ではなく、こいつは60点を目指すべきだと方針転換したくらいだった。

 

必死こいて事例にしがみついた、ということは先のエントリでも書いている。受験生皆がそう思ったに違いない。なんか、例年と違う、と。

 

 

***

10月が終わる。

発表は12月だからまだまだ1ヶ月以上の時間がある。長いなぁ。

 

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焼き芋でも喰うか?

 

昨年の今頃は何を思っていたのだろうか?

今週末、銀座で懇親会がある。

 

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要するに二次試験の慰労会。合否判明後には行けない(笑)から、合否が分かる前に行くわけ。昨年は事情があって行けなかったから今年はどうしても行きたい。翌日も休みだしね。

 

昨年の今頃は何を思っていたのだろうか?

 

試験当日、とにかく終わらせたいと思っていた。終わらせれば何とかなるとか思っていた。仕事が忙しかったし、精神的な落ち着きがなかったかもしれない。書ききれば何とかなると思っていたが、結果的になんともならなかった。

合否が分かって以降、タラレバの連続だったし、大げさだけれど、生きている意味を失うくらい精神的に落ち込んだ。

合否判明前までは、出来たという感触も出来なかったという感触もなかった。ただ、すべての事例で解答欄を「埋めた」という事実だけがあった。

 

今年はどうか。

自信を持って書いた答えなどないし、出来たというよりは「あっ! マズい」というような感想しかない。特に事例Ⅳ。

感じ的には昨年と同じじゃないか、と思ってしまう。だからこそ、怖い。

 

これ以上、どうやったら合格できるのだろう?

 

試験が終わった後、会場から自宅に戻るまでの道中、そんなことばかり考えていた。

本当に、合格した人たちは偉大だ。

 

 

一週間前の今日、台風とともに本試験がやってきた

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また台風が来ているけれど、今年はなんだかおかしい。まるで診断士の二次試験みたいだ。

 

・・・と思っているかどうかはともかく。

 

 

実際に試験と対峙しているときは、確かに傾向は違うかもしれないけれど、コンサルティングしているんだという意識は持てていた。傾向が異なると、積み上げてきたものがガラガラと崩れる音が聞こえてきて精神的に動揺するのだ。

 

「これがホンマのゆさぶり、か」

 

なんて思う余裕もなかったけれど、精神的に崩れない、諦めないことを第一にそれぞれ80分の“面談”時間に臨んだ。

 

ともあれ、今年は1問あたりの、記述する文字数が多いなという印象と、だから設問数が少ないなという印象があって、さくっと回答出来る問題が少なかったように感じた。

 

逆に事例Ⅰは例年よりも20文字くらい多くね? と思ったし、

事例Ⅱと事例Ⅲは設問数が少ないと思った。

事例Ⅳは計算過程を書かせる問題がなかった。

楽しむ余裕なんてなかった。あんな極限状態で楽しむことなんて出来ない。事例Ⅰなんて記述する際には手が震えたんだから。

 

 

・・・とはいえ、やっぱモヤモヤするもんなぁ

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受験校では模範解答らしきものをHPで公開するようになってきた。

各事例の模範解答は見る気にもならないが、総評だけは目を通す。

 

難化した?

傾向が変わった?

 

ま、いろいろ書かれている。どの受験校も事例Ⅳは難化したと書いており、その点は同感。そういうものを見たりしながら一喜一憂している、二次試験後1週間ほど経過した受験生の今日この頃である。

 

そういうのを見れば見るほど

「よっしゃぁっ!」とか

「がっくり」とか

「がーん」とか思う。なんとも心臓に悪い。

 

診断士試験のことはしばらく忘れて、とかいうけれど忘れることなんて出来ないしね。よいニュースを探したり、自分の粗が見えたり、なんともいえない日々を過ごしている。

 

 

覆水盆に返らず、だから

だから著者は考えることを止めた。

もう終わったことだし、万が一今年ダメなら、そのときはその時に考えればよかろう、と。

 

まずは明日からのタマネギ栽培の準備に専念することにしよう。

 

 

きっと今年の試験は難しかったんだ。そう嘆くこともあるまい。

 

だから条件は他の受験生と一緒だし。
今年は難しかった、でおしまい。
再現答案を作って、これで一旦リセットしようじゃないか。

 

 

さ、タマネギ、タマネギ、と。

 

 

満点を狙いに行った事例Ⅳ。だが、それは儚く崩れ去り

事例Ⅳは満点を狙いにいった。少なくとも試験前にはそう考えていた。
しかし、試験開始後、問題を眺めたとき、方針を変えた。「耐えよう」と。
そして足切り回避で、1点ずつ点数を積み上げていくべきだ、と思い直した。

 

最初のゆさぶりは経営分析だった。与件文に明確な根拠はないのは最近の傾向だったが、指標のうち優れているのを③に書くこと自体、例年とは違った。
あまり経営分析に時間をかけるのは得策ではなくさっさと仕上げようと思ったが、苦戦を強いられた。
感度分析と損益計算の問題。迫る時間の中で確実に解けた実感がない。これで焦り。精神的にやられそうになった。
差額キャッシュフローの問題。意思決定会計になだれ込むパターンのやつ。これも出来た実感はない。心が折れそうになった。ヤバい。
最後は記述問題。なんとか3問書ききった。


見直し中、間違いを見つけて修正できたくらいしか覚えていない。
アタマん中真っ白だった。
精神的に、心が折れかかった。

でも耐えた。一年間の苦労を思ったら、最後まで諦めずにやりきろうと思った。それしかやれることがなかった。

 

半分も取れてれば御の字だろう。

昨年の事例Ⅳは易しかったが、自分としては不出来だった。解釈の難しい問題で精神的にやられてしまい、それを引きずってしまったのだ。

今年はどうか。

今年の事例Ⅳは難しかったと言われているが、自分は解いてみせるという自信とそれを裏付けるだけの準備をしてきた。

 

だが、・・・。

だが、しかし、その裏付けをいとも容易くひっくり返され、ゆさぶられたのだ。


ヤバい、と思った。

変な脂汗が出てくるのが分かった。


しかし、なんとかしがみつき、粘ろうと考えた。諦めたら終わり、とはこのことだったのか。ここで退場するわけにはいかない。


とうとうゆさぶりに(勝てなくても)負けずに踏みとどまった。

空欄を作らず解き切ったからだ。

でもそれだけだった。

 

 

こうして二次試験を振り返るわけだが、「やっちまった感」しかない

二次試験が終わった。とにかく終わったのだ。終わった瞬間には「また一次からやり直しだ」と思うくらい落ち込んだ。
事例Ⅰは、昨年よりは手ごたえがあったように感じられたが、事例Ⅱにゆさぶられ、事例Ⅲにもゆさぶられ、事例Ⅳでトドメを刺された感じだった。
いかに精神的に折れないで「書ききるか」を試されているような問題だったように思えた。


精神的に折れては、つまりは諦めては負けだと思った。
だから事例Ⅱの「シルバー世代の生涯価値」の出題にも負けなかった。いかにも事例Ⅱ特有のベタベタした内容を書くことに終始した。
事例Ⅲのゆさぶりは「CNC木工加工機」そのものだったが、これもQCDの改善っぽく書いた。
ⅡもⅢも「課題の解決」を意識した記述をしたつもりだ。
だが、本当のゆさぶりは事例Ⅳに待っていた。

 

 

 

続く

 

 

忘れないうちに書いておこう

台風が近づき、前線を刺激して雨がひどく、電車が遅延することを見越して、試験会場には相当早く着いた。

試験会場は神田外語学院でJR神田駅から徒歩で2~3分の距離だった。

 

神田外語学院の中に入るのは初めて。前週の土曜日には下見を済ませていたので最短距離で到着することができた。

 

 

会場内は30名ちょい、40名いかないくらいだろうか。

その中は男性ばかりで女性はわずか1名だけだった。

 

試験監督者は1名は女性で、1名は男性だった。女性は人のよさそうな方で、男性は大柄な、いかにもドンくさそうなタイプの男性だった。診断士になったけれど、でも、・・・というタイプに見えた。

 

つづく

 

 

 

 

 

とにかく「終わった」二次試験

首都圏は台風前の雨がひどかった。

そんな中で臨んだ二次試験だったが、いろんな意味合いを含めて「終わった」。

 

一夜明け、思うのは

 

全力は尽くした

 

の一言。あのときあーすれば、とかこのときこーすれば、とかいう後悔はなく、もう一度臨んだところで結果は同じだろうなと思える。事例Ⅳの試験終了後の疲労感は半端なかった。帰り、駅までの道のりは徒歩で2分程度であったものが5分以上かかったと思う。帰りの電車の中、試験のことを思い返せないほどの疲労感。とにかく休みたかった。

 

その日のうちに再現答案を作れとかいろんなハナシが飛び交っていたが、正直、そんな気持ちになれず、とにかく一刻も早く眠りたかった。

 

 

とにかく二次試験は終わった。

一年近く準備を続けてきた、その二次試験が終わったのだ。

 

 

事例Ⅳが終わったとき、こうも思った。

 

「こりゃ一次試験からやり直しだ」と。

「どうすれば合格できるんだ?」とも。

そう考えると体が重くなった。だから足取りが重かったのだろう。

 

***

今朝は台風の影響でバタバタしている。

電車も動いていないし。

自分も、まだ、動けない。