自称週末ファーマーの国家試験受験記

自己啓発の延長なのか、自己実現の手段なのか、はたまた意地の張り合いか。生きているうちに“何か”を成し遂げたいから走り続けているような感じがする

一次試験は勉強の質×勉強の量で合否が決まる、らしい

この年末年始は簿記の勉強以外にはのんびりまったりするつもりでいる。なんやかんや昨年一昨年は

「年末年始くらいはゆったりのんびりしようかな」

とか思っていたのだが、平生と変わらぬ生活をしていたような記憶がある。

元日くらいは朝から酒飲んでまったり過ごすのもよし、と思っていたが規則正しく生活していた。ソファで横になりながら眺めていた放送大学CAPMのことを「キャップエム」と読むことを知った。ささやかな最近の年末年始の思い出だ。

 

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実はH27財務の一次試験は惨敗した。過去最高に平均点の高い試験で科目合格できず、しかも56点という最も悔しい点数であった。これは例えるなら、夏の甲子園大会予選の決勝戦で延長戦の末逆転サヨナラ本塁打で負けたくらいの悔しさ、と言っても過言ではない(笑) 

実はH27の敗退はファイナンスの不出来が要因であった。だから一次試験終了後の8月早々にはファイナンス理論の勉強を始めていたくらい。そもそも基本というか理屈さえ理解できていなかったといえる。

何度も言うけれど、自分は体系的に学ばないと理解が進まないタイプである。一方では満点が取れない試験だから難問があり、その難問を解くために理解する必要があるといった罠が存在し、挙句の果てには一次試験突破に何年もかかってしまうといった弊害もある。いろんなものに手を広げすぎて結果的に消化不良になって自滅するパターンのやつだ。

同時に著者には不要の問題であることも確かだ。もっとも著者はそうなる可能性も考慮していたし、そもそも100点満点を狙うことを諦め、点数を積み上げる方式に試験戦略を再構築していたのだから。

 

一次試験は勉強の質×勉強の量で合否が決まるという。加えて勉強の習慣化も重要なふファクターである。決められた時間に決められた量の勉強を決められただけ行うといった、ごくごくフツーのことが合否を決めるのではないか。

むろん勉強の成果が素直に反映されるような試験においては有効な手段。近年の法務や情報システムのような難易度ではそうカンタンに行くまい。情報で合格点をとるためには何か特別な手段が必要になるのではないだろうか?