自称週末ファーマーの国家試験受験記

自己啓発の延長なのか、自己実現の手段なのか、はたまた意地の張り合いか。生きているうちに“何か”を成し遂げたいから走り続けているような感じがする

不合格になって初めて分かること

実は二次筆記試験が不合格だったことを正しく認識するまでに時間がかかった。

現実を受け入れることが出来なかった、ということだ。

模範解答のない試験だから、答え合わせをすることで結果を理解することが出来ないので合否発表まで待つしかない。後日、事例ごとの成績が知らされるからそれを見ることで不合格を理解するのだろうが、正直に言うと、どこの何がダメだったから不合格だったのかが分からない。だから今後の方針も定められないでいる。だから未だにモヤモヤが続いてるような感じなのだ。

 

自分は不合格だった。

 

現実は受け止めるべき。

 

アタマではそう理解している。

 

来年どうする?

 

受験することは決まっている。

 

どうするって、受験するか否かではなく、

 

どうやって合格に到達すれば良いのか、

 

その方向性が見えないことにいらだつ。

 

 

 

合格した人たちがうらやましい。あの試験で合格したんだからおめでとう、だ。

これが本音だ。

 

 

 

 

自分はどうやったら合格できるのか、まだ見えていない。

おそらくはダメだった受験生、みんなそう思っているのかもしれない。

 

「諦めたら、そこで終わり」

 

ってそういう意味なんだ。