そもそも、どうして診断士を受けようと思ったのか?
診断士に合格できたら何がしたいのか、二次試験が終わってからの毎晩考えながら眠りにつくようになった。むろん、試験勉強にハゲんでいるときもそういうことを考えていたのだが、二次試験が終わり、合否が分からない今、少々の夢を見てもいいだろうということで、少し文字にしてみたい。
そもそも、どうして診断士を受けようと思ったのか?
(全く謙遜でもなんでもなく)自分にはいわゆる箔がない。大卒ではあるものの皆が羨むような大学ではないし、ただ大卒であるという肩書きがあるだけ。
真剣に勉強したが第一志望にはたどり着けなかった高校受験を筆頭に、受験と呼ばれるイベントにはいい思い出がなく、外部環境要因が自分の行く末を決めたとかいう言い訳を武器に生きてきた。それがイヤだった。死ぬまでに何か成し遂げたい、と思った。
大学卒業後最初に入社した企業は、志望する企業ではなく、義理と惰性で入社したサービス業であった。今でいうブラック企業だ。予測していたわけではないけれど、いずれは斜陽産業になることが分かっていたし、自分が望む仕事が出来なくなった時点でスパッとその会社を諦め、今の会社に入社した。どんな会社での完璧な会社はないので多少のいいとこわるいとこは存在する。
最初に入社した会社が50点だとしたら今の会社は65点。給与が低いことを除けばずいぶんとラクな会社だ(笑)
正直言えば、今の会社に骨をうずめる気はさらさらないので何かステップアップするためにはどうしたらようのかを考え続けていた。労働市場における自分の価値を高めるためにはどうしたらよいのか、とね。
自分には箔がない。
誤解を恐れずに言えば、人間は見た目ではないとかいいながら、最初に見るべきは顔(ツラ)だ。
ツラ構えをよくするためには必死こいて勉強するしかないと思っていた。いわゆる自己啓発みたいなものだ。
しかし、何の裏づけもない数字やハッタリがすぐに見破られると同じように、現在の自分には、血肉になる“何か”がない。“何か”がなければ勝負出来ない。それが現実だ。そこで著者が選んだの診断士という資格だった。
じゃ、なぜ診断士なのか? 当時読んでいた自己啓発本の著者の多くがマッキンゼー出身者だったからか? そうかもしれない。大前研一の本ばかり読んだから? そうかもしれない。当時の会社の社長がMBAを取ろうとしていたからかもしれない。感化されたのかもしれない。
自分の血肉に出来て箔が付けられる資格が診断士だったわけだ。
それからというものの、診断士のことを研究した。
(続く)